川魚

私が子供の頃、流行った遊びの一つに川魚捕りがあります。
学校から帰ると、かばんを放り投げる手間も惜しんで、一目散に友達と近くの米代川へ出かけました。
私たちが子供の頃は、今のような洒落た竿など買ってもらえませんでしたから、その辺に自生しているヤブ竹を竿代わりに使っていました。
孟宗竹の物干し竿を使っている不精者もいましたね。

釣りのほかに、川に入って魚を手掴みしたり、ヤスと呼んでいたモリのようなもので、川魚を突いて捕ったりもしました。
今ではもう夢物語になってしまった、子供の頃の川魚捕りの思い出を綴ってみました。
同じような経験をお持ちの方、貴方の子供の頃の思い出も、是非お聞かせ願えませんか。
カジカの夜突き


現在では、ほとんどの河川でモリで魚を突き取ることは禁止されています。
それどころか、カジカ自体にお目にかかることさえ困難になりましたね。
カジカの夜突きに必要なものは、ガラス箱と呼んでいた(我が家の倉庫で埃を被っています、下の写真)水中を覗くために必要な、ガラス板の四方を木の板で囲んだ箱船のようなものと、カーバイトを使用したカンテラ、そしてヤスと呼ばれる魚を突くモリのようなものです。

日中、カジカは川石の下などに隠れたり、急流にへばり付いて餌を捕食していますが、夜になると隠れている場所から這い出て、悠然と寝入っています。
その証拠に、カンテラの明かりに照らされても逃げる素振りを見せません。
一晩に百匹以上捕獲するのはざらで、捕っても捕っても尽きることはありませんでした。
カジカは、せいぜい体長7センチ程度で、頭が大きく一見グロテスクな淡水魚ですが、塩焼きや唐揚げで食べると、とても美味しい魚でした。

中には標準サイズを大幅に上回るものもいて私たちは「ガバチ」と呼んでいました。
ガバチのエラぶたには、鋭い棘のようなものがついていて、ヤスから外す時、痛い目にあった記憶があります。
今にして思えば、カジカは骨酒にしてもイケそうな川魚でしたが、子供の私たちには思いつく術もありません。
蒸し暑い夏の寝苦しい夜などは、カーバイトのむせ返るような匂いとカジカのひょうきんな姿と共に、当時の記憶が脳裏を過ぎります。
必殺!川流れの術
今でこそ、米代川は深いよどみが埋め立てられ何の野趣も感じられない、ただの「取水場」に成り果てましたが、30年ほど前までは2メートル以上の深みがある川淵が此処其処に散見されました。

そんな淵には、ハヤでも岩魚でも大物が住み着いていて、子供たちはヤスを片手に競い合って淵の主を捜し求めました。
川魚は岩陰や水草の蔭にジッと隠れているか、川底を泳いでいます。
物陰に隠れている魚の方が、逃げ場が狭くなるので捕まえ易いのですが、殆どの大物は川底を悠然と回遊しています。
ですから、大物を狙う場合は、暫く川に潜っていなければならないので肺活量が要求されます。

平気で1分くらい潜る事ができないと話になりません。
潜る時の必需品は水中眼鏡ですが、使用する前にその辺の青草を石で叩き潰して、青汁が滲み出た草を水中眼鏡の内側にこすり付けると、内側のガラスが曇りません。
ヤスの頭に括りつけた紐を腰に巻きつけて、上流から潜り川の流れに身を任せて魚を追います。

魚には一度に何匹もお目にかかることができますが、ヤスは1本しか持てません。
どれが大きいかなんて目移りしている余裕はありません。
文字通り息を凝らしてヤスを構え、川魚に狙いを定めてヤスを繰り出します。

ヤスがヒットすれば、川魚はもんどり打って、そのしなやかな白い体側をくねらし、ギラリと太陽の光を照り返します。
この光景とヤスを伝わってくるブルブルッという躍動感が私たち子供を虜にしました。
しかし、唇が紫になるまで、何度も繰り返しますが、泳いでいる川魚をヒットさせることは至難の業です。
運よくヤスを命中させることができても、ヤスが浅く入ると魚に逃げられてしまいます。

したがって、狙った川魚を仕留めるためには、ヤスを正確にコントロールする事が大切ですが、川魚のポジションは流動的で捉え処が無く、こちらも浮力に逆らって潜っている最中なので思うように力が入りません。
岩魚など尺モノをヤスで突くと、ヤスの柄が捻じ曲がる場合もあります。
大物を数匹揚げて興が乗ると、近くの畑からトマトやキュウリを失敬して来て、魚を囲んで宴会が始まります。

畑の持ち主は、野菜を持ち去る犯人が誰なのか先刻お見通しなのですが、直接叱られたことも、学校や家に苦情が来たこともありませんでした。
子供ゆえ大目に見てくれたところもあったのでしょうが、今みたいに世知辛い世の中ではなかったことも確かなようです。
大きな石の回りに、乾いた流木を積み上げて火を焚き、石に川魚を載せて焼いて食べるんです。

食べきれない川魚は、川柳の枝にエラから通して家に持ち帰ります。
仕留めた魚を巡って、あの時俺が捕った奴より小さいだのデカイだの、些細なことで喧嘩が始まることも茶飯事。
学校での勉強のでき不出来より、野良での実力のほうが羽振りを利かせていましたので、ここは何としても引き下がるわけにはいかない、と思い込んでいたようです。

次の日には、そんなことケロッと忘れた振りをして、また一緒に遊んでいましたけどね。
息子や娘をキャンプや海に連れて行って、一緒に魚釣りやカニを捕まえたりしたことは何度もありますが、川遊びを教えてやれなかったことが心残りです。
彼らが生まれる前に、川での遊泳は全面的に禁止されてしまいました。

川は全く様変わりをしてしまい、当時の名残はほとんどありません。
子供の関心事もすっかり変わってしまったようですね。
夏セミの鳴き声を聞くたびに思い起こす遠い昔のお話です。
どっとはらい。